ドイツでぐーたら暮らしています
父、永眠
2006年11月28日 (火) | 編集 |
去る11月22日に父が永眠しました。

心配してくださった皆様には本当に感謝の気持ちで一杯です。
ブログやmixiの友達からの言葉を伝えると、父はそうかそうかと嬉しそうに笑っていました。

11月9日に主治医から「一日単位で考えてください。今日お亡くなりなっても不思議ではありません」と言われてから、順番で病院に泊まりこんで父の様子を見てきました。
ほとんど母が一人で病院に泊まることが多かったのですが、他の家族もできる限りの時間、病院に来てくれました。
下呂も2週間のお休みを取って、ドイツからかけつけてくれて本当に助かりました。

最初は肝臓に転移したガンのせいで、肝硬変になり、黄胆や腹水などの症状がでて見ていて冷や冷やしましたが、結局最後は肺のガンが進行して呼吸困難になり、心臓が耐えられなくなったようです。体は頑丈な父でしたが、モルヒネの大量投与で心臓がだいぶ弱っていたようです。結果的にあまり苦しまなくて済んだので良かったと思います。

最後の3日程はほとんど寝ていて、返事も生返事だけでしたが、それまではモルヒネで現実を見失いがちだったとはいえなかなか元気でした。
心配していた人の認識も、最後までほぼ間違えたり忘れたりすることもなかったので良かったです。
やはり始終、体の痛みがなくなることはありませんでしたが、最大限の薬を使い、最小限の痛みに抑えてもらっていました。病院には本当に感謝しています。
本当に苦しそうだったのは最後の1日だけ済みました。

私は何もできませんでしたが、約一ヶ月の間、父と過ごせた日々は本当に幸せでした。
普段は中々会うことができない家族とも長い時間過ごすことができて、お互いゆっくり話しができたのもとても良かったと思います。

ドイツの家族からは「お父さんは一人ひとりの心の中で生きているよ」という言葉をもらいました。
私も心の中の父の記憶を大切に、これからも生きていきたいと思います。
新しい家でたこ焼きパーティ、そして父の様子
2006年11月08日 (水) | 編集 |
日曜日にやっと風邪が治って、両親のいる新しい家に行くことができました♡
その日は姉夫婦と親戚の人たちが父のお見舞いに来て、たこ焼きパーティをしました。
新しい家にたどり着いたのが夕方だったので、すでにパーティは終盤となっていましたが、私のためにたこ焼きを一船残してくれていたので手作りたこ焼きを堪能することができました(*'∇'*)

父は疲れやすくなっているのでほとんど座ったままでしたが、皆に来てもらってとても嬉しかったようです。始終にこにこしていました。
皆に愛されて父はとても幸せだと思います。
日本に帰ります
2006年10月18日 (水) | 編集 |
どうやら父のガンは末期の末期となってしまったようです。
近頃、調子が悪いからと検査したところ、
骨、大腸、肝臓
などに転移していたそうです。

お医者様の話では一ヶ月単位で考えくださいとのことでした。
母は来年の桜は見れないのかと嘆いていますが、それどころか正月迎えられるのかという次元のようです。

正直言って、その話を聞いた時はショックでどうしようもありませんでしたが、去年ガンであると宣告を受けたときよりもっと穏やかに受け止められました。
ガンの本を読んでいるときに「ガンは優しい病気」だ、と書いてあったのをよく思い出します。
ガンの治療は過酷ですが、治療をせず進行するに任せた場合は発見から1〜2年くらいの猶予があることが多く、また死に瀕した場合の苦しみは最小限で済むそうです。

この一年で父が自分の人生の整理ができたとはとても言えませんが、それを自分でわかっているのだから公平な事だと思います。
世の中には理不尽な死が多い中、80過ぎまでやりたいことやって家族に囲まれて生きてきた父はかなり幸せ者なんじゃないかと勝手に思ってます。
そんなこと考えるのは父の仕事で私が勝手に決めることではないのですが、そう考えると余命を知らせていない父と穏やかに対面できるんじゃないかと思うのです。
この一年、父は病状が悪化したと聞く度に非常にへこんでしまい余計に悪くなることが多かったので、余命について話すのは止めようと母が言っていました。
私はウソが苦手なので、父に会った時にあまり長くないことを悟られずにすむかどうか不安ですが、それでも会わないより会ったほうがいいと思うので日本に帰ろうと思います。
せめて少しでも親孝行ができれば、と思います。

毎度、重い話を書いてしまってすみません。
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ジャンル:心と身体
近頃、元気な父
2006年08月16日 (水) | 編集 |
父が肺がんになって以来、病気についてはあまり良くないニュースを聞くことが多かったのですが、最近元気になってきたそうです(^^♪

肺の炎症が広がってきていたので、先月に放射線治療を受けました。途中副作用で一日声が出なくなるなどがありつつも、無事30回の治療をこなすことができました。
最初は高齢なこともあり副作用が強ければ途中でやめるという話でした。副作用で声が出なくなった時に中止の話もあったそうですが、放射線当てる場所を変えたら大丈夫になったので全部治療することができました。

お陰様で、肺の炎症も治まり、なんとガンも小さくなったそうです!
近頃は体調も良く、心配された副作用も特に出てきませんでした。
なにより本人の気力が出てきたのがうれしいです。

それで気を良くしたのか、9月には北海道へ豪華列車の旅に出る予定を組んだそうです(^_^;)
大丈夫かいな。
体は少し心配だけど、好物のものはたくさん食べる父ですから、北海道で大好きな海産物をたくさん食べてきてほしいです。

さらに、ずっと渋っていた補聴器を(免許更新で不安になったため)ついに買う決心をしたということで、大音量のTVに悩まされていた母も喜んでおります。
これで電話で話すこともできるかな?と思ったら電話のときは補聴器を使うのイヤみたい…

そんな父を見舞いに(口実?)私も9月に里帰りをすることにしました♪
今度は一人だから羽伸ばせそう(鬼嫁)
父の病気(4) 告知、そして今後
2005年09月27日 (火) | 編集 |
父に手術の中止を告げることは、家族内でもかなり悩んだ。
それを告げることで、父の気力を殺ぐことになるのではないかと心配したのだ。
せめて一週間は、黙っていようかとみんなで考えた。

しかし、肺を切り取ると、呼吸が多少苦しくなったり、その後の様々なリハビリを必要としたが
そんなものが無いとわかった時点で手術の中止は父に知れてしまうので、
隠し通すことはできなかった。
なにより、手術が成功したと思ってる父に嘘を突き通す自信が私にはなかった。

そんなわけで、父にはすぐに告知することに決めた。
手術当日は麻酔で朦朧としているので、翌日に医者からの告知という形で。

麻酔から覚めた父に会いに行くのが辛かった。
長い時間、独りで回復室にいなければならない父を不安にさせたくなかったし、
あんまり期待を抱かせるてもあとの落胆がひどくなるしで
どう接していいのかわからなかった。
顔を見て泣かない自信もなかった。

回復室の父は、ひどく弱っているように見えた。
「どうだ?最悪の結果なんてなかっただろう?大丈夫だったろ?」
と言われた時は心臓が止まりそうな気分だった。
「入れ歯がないと何いってるかわからんわ、とりあえず今日はゆっくり寝てなや」
と明るく言い逃れをしておいた。我ながら酷いセリフだ。とりあえず必死だった。
回復室から出て半時ばかり、私は使い物にならなかった。

翌日、まだ回復室にいる父に家族立会いのもとで執刀医が手術の結果を話してくれた。
こけそうになるほどあっさりと包み隠さずの説明だった。
父は、やはり相当ショックだったようだが、
他人様に負の感情を見せるのがきらいな性質なので、明るく言った。
「まあ、しゃあないわな。たばこ長い間吸ってたんだからな」

これから父は、抗がん剤の治療を始める。
高齢ゆえに、きつい治療はできない。
通常よりかなり軽い治療となるが、それでもやはり副作用はでてくるだろう。

私は、手術すれば長生きできると単純に考えていたが
いろいろ勉強していくとどうもそう簡単ではないらしい。
がんの進行も人それぞれでなんとも言いがたいものがある。

下呂くんに泣きながら電話した時に、こんなことを言われた
「なぜそんなに悲しむんだ。
お父さんはまだ生きてそこにいるじゃないか
それが一番大切なことだよ」

その時、目からうろこが落ちた。
私は先々のことに目を奪われすぎていたことにやっと気づいた。

これからつらいこともあるだろうが、
やはり希望を大切にして、楽しく暮らしたい。
少しでも親孝行しないとね。
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